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2014.06.06(Fri):黄昏人
第一章 一話
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黒々とした森の中であった。
 重く垂れ込めた枝葉に遮られて、陽光は地まで届かないのだ。
 陰鬱な湿り気を帯びた、不快な森。
 朝もやの中、倒木の側に女はいた。
 背でゆるやかに束ねた黒褐色の髪、通った鼻筋と固く引き結ばれた唇。女性らしい柔らかさや愛らしさとは少々縁遠い、鋭い線の面立ちをした美しい女だった。
 厚手のマントに身を包み、木と一体となるかのようにうずくまり、目を閉じている。
 だが、眠っているわけではない。
 その証拠に、小動物や風が起こすちょっとした物音がするたびに、女の形の良い眉の間に深いしわが刻まれる。
 はるか上空で、不吉な鳴き声がした。――カラスだ。
 女は目を開けると、大きく舌打ちをして頭上を見上げた。だが、昼でも暗いこの森に、空が見える隙間など、ほとんどありはしないのだ。その事に気づき、女はもう一度舌打ちをする。
 青灰色の双眸を鋭く光らせ、ゆっくりと立ち上がった。
 マントの下には、なめし革の軽鎧。そして、膝丈の編み上げサンダル。手には、女性が持つには大振りの長剣が握られていた。
 いつでも抜けるように剣の柄に手をかけながら、女は一点を見つめる。
 草を踏みしだく音が近づいてくる。
 女の目が細められた。
 ――ガサリ。
 目の前の草叢が大きく揺れたかと思うと、一人の男が現れた。漆黒の髪と瞳をした長身の男。左肩と左胸を防護する鉄製の胸当てをつけ、背には身の丈ほどもあろうかという長弓。気の強そうな女とは対照的に、穏やかで物静かな顔立ちの男である。
「お前か……」
 女は、肩の力を抜いた。
「起きていたのか」
 男は軽く笑うと、右手に持っていたものをドサリと投げ出した。それを見た女は、眉をひそめる。
「……これは、何だ?」
「何って……」
 女の言葉に、男は不思議そうに首をかしげた。
「見れば分かるだろう。鶏だ。朝飯にしようと思って獲ってきたのだ」
「どう見ても…家畜じゃないか」
 明らかに野生のものではない、白く丸々と太った鶏。女は呆れた表情になって、男に目をやる。だが、男はまったく悪びれた様子もなく、小さく肩をすくめただけだった。
「柵の外側をふらふら歩いていたからな。問題ないと判断した」
「ばっ……」
 女は声を荒げかけたが、馬鹿馬鹿しくなったらしく、すぐに口をつぐんだ。代わりにため息を一つ。
「いい加減、こっちの常識に慣れろ。柵の外側でも、明らかに持ち主が分かるものは獲ってはいけないんだ」
「知っている」
「知っているのに、やっているのか。余計始末が悪い」
 女は勢いよく座り込んだ。目の前に哀れな鶏が転がっている。――胸にあいた四つの小さな穴。そこから血が流れ出していた。
 盗み見るように、男を見上げた。謝る気はないようである。男は、背中の長弓を外すと、女の隣に座り込んだ。
「食わないのか。どうせ、もう死んでいるんだ。食ってやった方がいいだろう」
「勝手な理屈だな」
「いらないのなら、俺が全部食うぞ」
「………」
 男は手際よく鶏の羽をむしり、捌いていく。女は、その端正な横顔を見つめた。穏やかな表情の裏にある真意は、相変わらず掴めなかった。
――結局。
 二人は、若鶏の丸焼きという何とも贅沢な朝食を堪能した。
 腹が満たされた後、ゴミを土に埋めて焚き火の跡を消す。傍らにつないであった馬に鞍をつけ、さあ出発しようかという、その矢先。
 男が動きを止めた。
「どうした?」
「何か……来る」
 女の耳には、何も届かない。だが、しばらくすると、かすかに人の声らしきものが聞こえてきた。
「こんな森に……多くの人間が?」
 男は訝しげにつぶやいた。その言葉に、女が問いかける。
「人数も分かるのか?」
「だいたいな……」
 男は、じっと耳を澄ました。
「七、八人というところだな。ずいぶん騒がしい……。農夫どもか」
 話し声は徐々に近くなり、木や草をかき分ける音まで届いてきた。まっすぐにこちらに向かっている。
「お前の残した跡を、つけているんじゃないか」
 女の冷ややかな言葉に、男は真顔で頷いた。
「そうかもしれん。思ったほど馬鹿ではなかったらしいな」
 言ってから、不敵な笑みを浮かべる。
「まあ、どちらにせよ分からぬだろう」
 女は、肩をすくめた。確かに、男の言うとおりなのだ。鶏泥棒の真犯人は、けして農夫たちには分かるまい。なぜなら……。
「うわっ。びっくりした!」
 不意に大声がした。見れば、鍬を担いだ若い農夫が、草間から驚いた様子でこちらを見ていた。
「こんな所に人がいるとは思わなかったよ!あんたら、こんな所で何してるんだ?」
 男の後ろから、似たような若い農夫たちがぞろぞろと現れた。
「見たとこ、旅の剣士の方のようだけど……。道にでも迷ったんですか?」
 いちばん年長者の男が、二人の格好をじろじろと観察しながらも、一応剣を持つ者に対する敬意を払って、丁寧な言葉遣いで問いかけてきた。
「……そんなところだ」
「気をつけた方がいいですよ。ここいらは、飢えた山犬がうようよいますからね」
「そうか」
 いくぶん気まずそうに男は答える。農夫は、男が返事をしてくれたことが嬉しかったらしく、調子に乗って話し始めた。
「ここのところ、家畜もずいぶんやられてるんですよ。今朝だって、いちばん太っていたいい鶏をやられちまった。だから、俺たちがこうして山犬狩りに来たんですがね。なかなかずる賢いやつで、途中で足跡を見失っちまったってわけです」
「なるほど。……大変だな」
 男は、神妙な顔で同情してみせた。まさか、そのいちばんいい鶏を盗んだ張本人が目の前にいるとは露知らず、農夫は我が意を得たりとばかりに頷いた。
「ええ、ええ! そりゃもう、大変ですとも。家畜は、俺たちの命の次に大切なものですからね!だから、農具しか持ったことのない俺たちが、必死で狩をするんですよ。あんたたちみたいな剣士なら、すぐにでも山犬たちを退治できるんでしょうけど……」
「………」
 二人は、ちらと目を見交わした。――嫌な予感。
 案の定、自分の言葉に農夫ははたと手を打ち、顔を輝かせた。
「そうだ! 山犬退治を手伝ってもらえませんか!?報酬なら、存分に出します。それに、この先俺たちの村を出たら、当分食料も水も十分に補給できそうな村はないですよ。退治してくれたら、それも全部タダにして差し上げましょう。どうです?いい条件でしょう!ね、ね、お願いしますよ」
すがりつくような目で、年長者は言う。他の農夫たちも同様に、お願いしますと口々に言って頭を下げた。
「………」
 女は、断れるかと目で訊ねた。男は、困り果てたように少しの間思案していたが、やがて。やれやれといった様子で、首を振ると、
「安くはないぞ」
 不本意ながら、渋々引き受けた。どうやら、多少の後ろめたさもあったようである。女は、内心クスリと笑いを漏らした。
「あ……ありがとうございます!!」
 農夫たちは、あからさまに安堵の色を浮かべ、笑顔になった。慣れぬ山犬退治など、誰もやりたくはなかったのだろう。
「俺は、村長代理のリッジといいます」
 年長者が深々と頭を下げた。
「私は……アスレシア。この男はゼフィオン」
 女が簡潔に答える。
「アスレシア様にゼフィオン様ですね。よろしくお願いします」
 二人は、農夫に囲まれるようにして歩き出した。
 歩きながら、同じ事を考える。
――山犬も、とんだとばっちりを受けたものだ、と。
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