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2014.06.06(Fri):黄昏人
第一章 四話
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 血の臭いが鼻をつく。
 農夫たちが絶叫を上げ、山犬たちの餌食となっていく中、アスレシアとゼフィオンは頭上を睨みつけ立ち尽くしていた。
 枝の上から、黒い服をまとった若い女が二人を見下ろす。吊り上った明るい黄金色の瞳が、妖しく光った。
「貴様……一体何のつもりだ!」
 アスレシアの怒声に、女は耳に障る甲高い声で笑った。
「ネイヴァ。アベリアル様の指示なのか?」
 ゼフィオンが鼻にしわを寄せ、呻く。
「まさか。我が主はそんな指示はしないわ。これは、私のお楽しみ」
「人を殺す楽しみか」
「ふふ……。違うよ。私は山犬を助けてあげただけ。ゼフィオン、あんたが同類を殺そうとしていたからね」
 同類という言葉に、ゼフィオンの穏やかな表情が消え、すさまじい怒りが浮かび上がってきた。
「山犬などと一緒にするな」
「一緒よ。山犬も――狼も」
「黙れ!!」
 ゼフィオンの喉から、不意に低い唸り声が漏れた。それは、明らかに人間のものではない声。
 ザア……と風が巻き起こる。
 アスレシアは、飛んでくる枝葉を腕で防ぎながら、苦々しげに心の中でひとりごちた。
(またか……。ネイヴァと会うと冷静さを欠くんだから。この男は……)
 風が治まる。ゼフィオンの姿は消え失せていた。代わって彼がいた場所に現れたのは――巨大な黒狼。 
「ガァァッ!」
 狼は一声吠えると、大地を蹴った。驚くべき跳躍力で、木の上のネイヴァに襲いかかる。が、彼女は軽々とそれをかわすと、挑発するように舌を出した。
「ふふふ。あんたにあたしは倒せないよ。図体がでかいだけの鈍い狼。そこの農夫に狩られちゃえば?」
 ネイヴァの言葉に、アスレシアはハッとして振り返った。
そこには、蒼ざめた顔のリッジの姿。
(しまった……)
迂闊だった。山犬と闘っているものとばかり思っていたので、まったく注意を払っていなかった。
「ひ……」
リッジは声にならぬ悲鳴を上げる。
「ば……化物だ……」
「違う!」
「お、俺たちを騙したんだな! 女!! お前も化物なんだろう!」
「待て! 誤解だ。私たちは、化物などでは……」
「うるせえ!!」
リッジは、手にしていた槍を構えた。
「俺はやられねえ! やられるもんか!」
リッジの槍がアスレシアに突き出された。
「くそう! みんな死んじまったじゃねえか! お前らのせいだ! お前らが俺たちを罠にはめて……!!」
「違うと言っているだろう!」
リッジは半狂乱になってアスレシアを攻撃してきた。槍を剣で弾き返しながら、彼女は何とかして説得しようと試みる。だが、リッジは全く聞き入れそうになかった。
「ガアッ」
ゼフィオンが吠える。彼が言わんとしている事を悟り、アスレシアは素早く制した。
「だめだ! 殺すな!」
この農夫に罪はないのだ。誤解を受けて刃を向けられたからといって、簡単に殺すわけにはいかぬ。
「頼むから、私の話を聞いてくれ!」
人間、捨て身になったときの攻撃は、凄まじいものがある。アスレシアは、少しずつではあったがリッジに押されかけていた。
「……っ!!」
右腕に鋭い痛みが走った。槍の穂先が、彼女の二の腕をかすめ、切り裂いたのだ。
鮮血が散る。
「ガオオオゥッ」
「やめろ! ゼフィオン……!」
黒い疾風が農夫を襲った。
突き出された槍が、アスレシアの首元でピタリと止まる。
恐怖に見開かれた瞳が、彼女を捉える。
ゴボリ。
喉がぱっくりと口を開け、奇妙な音と共に血が溢れた。リッジは何かを言おうと口を動かす。そのたびに喉がひくひくと痙攣し、血が押し出されてきた。
「ゼ……フィオン……」
アスレシアは喘いだ。
「殺すなと……。だめだと言っただろう!」
また、命を奪ってしまった。罪もない人間を。何も知らぬ純朴な民を。心の苦痛に顔が歪む。
「グゥ……」
口を真っ赤に染め、ゼフィオンは申し訳なさそうに彼女を見る。怒りで逆立っていた首筋の毛が治まったかと思うと、狼はゆらりと輪郭を崩し、人間の姿に戻った。
「すまない……。お前が傷つけられたのを見て、怒りが先行してしまった……」
「なぜ?」
アスレシアは、息絶えたリッジの傍らに、そっと膝をついた。
「なぜ、罪もない人をそんなに簡単に殺せるんだ? 話し合えば、誤解を解けば、この農夫は死なずに済んだのに」
「………」
「人間の命など、お前たちには何の価値もないものなのか」
「そうではない。アスレシア、俺は……」
言いかけたゼフィオンを、女の声が遮った。
「そうよ」
二人は同時に顔を上げる。嘲りの色を浮かべ、ネイヴァは二人を見下ろしていた。
「くだらない人間の命など、あたしたちにとってはゴミと同じ。少しでも上質のものなら、主のために欲しいけれどね。アスレシア。あんた、いい加減に自分が何なのか認めなよ。いつまでも人間のつもりで人間の味方してるんじゃないよ。黄昏人」
「……!」
アスレシアは、ギッとネイヴァを睨みつけた。ネイヴァは肩をすくめると、ひょいと一回転して黒猫の姿になる。
「ニャオゥ」
後に引く不快な鳴き声を残し、黒猫はざっと木の陰に消えた。
「追うか?」
ゼフィオンが問う。だが、アスレシアは寂しげな笑いを浮かべ、弱々しく首を振っただけだった。
「いや、いい……」
「気にするな。あの女の口の悪さは、いつもの事だ」
「ああ……。でも、真実を言っている」
アスレシアは、自分の右腕に視線を落とした。
つい先程受けたはずの裂傷。
だが。
わずかな痕跡を残し、傷は消えていた。絵の具を塗ったように、赤い血がこびりついているだけだ。
(人間……ではない)
心でどれだけ否定しても、彼女の身体は嘘をつかない。
「カア」
不意に間抜けな声が落ちてきた。見上げれば、先程までネイヴァがいた枝の上に、巨大な鴉の姿があった。
「ペンドラゴン」
ゼフィオンに呼ばれ、大鴉はふいと人の姿に戻る。
「大丈夫か」
「心にもないことを……。何の用だ」
アスレシアの冷たい一言に、ペンドラゴンはにやりと笑う。
「たった今、我が主から連絡があってね。カスラムに例の子供の気配が現れたらしいぜ」
「カスラム…」
 二人は、顔を見合わせる。それは、ここより北にある聖都。
「……行こう。ゼフィオン」
 右腕の血を無造作に拭うと、アスレシアはつぶやいた。
「これ以上、ここにはいたくない」
「ああ……」
 無残に転がる農夫と山犬たちの姿に背を向ける。
 明日になれば、村人たちによって発見され、埋葬されるだろう。自分たちがするよりも、その方がいい。
彼らは北を目指し、陰鬱な森を後にした。
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