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2014.06.06(Fri):黄昏人
 第二章 二話
【More...】

 アスレシアは、うんざりした視線を左右に走らせた。
 ジルベール邸の長い廊下。ずらりと並んだ絵画や彫刻が、派手な金細工の燭台に灯されたろうそくの火を受けていた。
 どうにも統一感のない田舎じみた調度品を見れば、ジルベールの人となりが窺い知れるというものだ。
「しょせんは、成り上がりの商人というところか」
 身も蓋もない感想を述べる。もちろん男たちには聞こえないように、だが。
 男たちに先導され、アスレシアとゼフィオンは、ひとつの扉の前に立った。
「ジルベール様。連れてまいりました」
 男が言う。ややあって、答(いら)えがあった。
「――入れ」
 扉が開く。
 正面に、巨大な揺り椅子があった。こちらに背を向けているので、座っている人物の姿は見えぬ。
 キィ、キィと不気味な音を立て、揺り椅子はゆっくりと揺れ続けていた。
「入れ」
 今一度、ジルベールは言う。男たちは、急かすようにアスレシアとゼフィオンを中に押し入れると、あっさりと扉を閉めてしまった。どうやら、彼らにとって、人でなくなった主というものは、恐怖の対象以外の何者でもないらしい。
 若干の同情を覚えながら、アスレシアは、ジルベールの様子を窺う。
 ゆらり。
 ひときわ大きく椅子が揺れたかと思うと、窓辺に人影が立っていた。
「お前たちが、依頼を受けたのか」
 もったいぶるような仕草で、人影はアスレシアたちの方を向いた。
「………」
「ふふ。声も出ぬか」
 自嘲めいた笑いを漏らすジルベール。その、姿は。
 ぬめぬめと光る赤黒い鱗に覆われた、魚とも爬虫類とも取れる、おぞましい化物。
 どの生物と例えるのがもっとも適当だろう。魚か、蛙か、それとも蜥蜴か。顔の両側に大きく離れた目。鼻梁はほとんどなく、小さな穴だけの鼻。裂けるような大きな口。その頭部には、わずかに栗色の髪があり、それが、彼が元来人間であることを物語っていて、なおのこと奇怪な印象を与えている。
「逃げたくば逃げるがいい。このような姿の者など、二度と見たくはないだろうからな」
 ペタリ、ペタリと足音を響かせ、ジルベールはアスレシアの前に立った。間近に見ると、さらにおぞましさは増す。背と手首、足首には、尖った巨大なヒレがついていた。その為、衣服を着ることができぬらしく、わずかに腰周りに布を巻きつけているだけだった。
 生臭い、何とも言えぬ臭いが鼻をつく。だが、アスレシアは、正面に立ったジルベールを臆することなく見据えて言った。
「依頼の内容を」
 ゼフィオンもさして心の動きも見せず、彼を見ている。その二人の様子に、ジルベールは少し驚いたように目をしばたたかせた。 
「……恐ろしくないのか。儂の姿が」
「事前に少しは聞いていた。あなたが人ではなくなったと」
「………」
 ジルベールは、思ってもみなかった彼らの反応に、少し戸惑いを見せていたが。
「よかろう」
 小さくため息をついた。
「十日ほど前のことだ。朝目覚めると、突然こんな姿になっていた。何も予兆などなかった。前日の夜、私は……その……酒を飲み、いつもの通り眠ったのだ。それが、いきなりこんな事になって……。何とかしてこの姿を元に戻し、元凶を探し出して断ってくれ。それが依頼内容だ。期限は設けない。が、できるだけ早く。報酬は、後に働きによって決めさせてもらう」
 さして、予想を裏切らぬ依頼内容だった。だが、アスレシアは納得できぬ。
(サニト・ベイは無関係なのか……?いや、そんなはずはない)
 これは、勘などという生易しいものではない。確信だ。サニト・ベイが関わっていないはずはない。
 まだ何か隠していることがあるのではないか。アスレシアは、ジルベールに訊ねようと口を開きかけた。と、それよりもわずかに早く。
「ジルベール殿。くだらぬ自尊心は、捨てたほうが良いな。でなければ、本当に元に戻る機会を失うと思うぞ」
 ゼフィオンが言った。ジルベールは、見た目にもはっきりと分かるほどに狼狽する。
「少年が関わっているはずだ。……その姿になる前にな」
 アスレシアは理解できず、ゼフィオンを見た。彼の横顔には、侮蔑の表情が露骨に浮かんでいる。
「む……」
 ジルベールは呻くと、視線を逃れるように二人に背を向けた。
「他人の趣味を、とやかく言うつもりはない。俺たちは、ただ事実を知りたいだけだ。前日の夜、あなたの傍らには少年が一人いたのだろう?」
「………」
 そこまで聞いて、アスレシアはようやく理解した。なるほど、この男はそういう性癖があるというわけか。
(たしかに、あいつの外見ならば、誘われても不思議じゃないな)
 サニト・ベイの整った顔立ちを思い浮かべた。いわゆる美少年といって良い。そんな少年が一人で街を歩いていれば、男色家たちの目に留まらぬわけがない。
 ジルベールは、羞恥心に顔を歪めながら、聞き取れぬほどの声で、ポツリポツリと話し始めた。
「そうだ。……私は、あの夜一人の少年を家に連れ帰った。そして、部屋に入ってまず酒を飲んだ。……その直後、意識を失ってしまい、気づけば朝になっていたのだ。このような姿に成り果ててな」
「その少年は?もういなかったのか」
 アスレシアの問いに、ジルベールは首を振った。
「傍らにいた。……私を嘲るように見下ろし、言ったのだ。“僕に手を出そうなんて、大それた事をしようとするからだよ”と。それから……出て行った。私に唾を吐きかけて」
 怒りのためか、ジルベールの背ビレが小刻みに震える。
 アスレシアは、自分の鼓動が音を立てて早くなるのを感じた。ひときわ強く彼女の心にサニト・ベイの嘲笑が浮かぶ。
――間違いない。
 歓喜と怒り、そして恐怖。いくつもの感情が複雑に混じり合い、一気に膨れ上がる。アスレシアは、とっさにそれを受け止めきれず、思わず拳を握りしめた。
視界の端でゼフィオンが、小さく肩をすくめるのが分かった。心の内を見透かされたような気がして、アスレシアは唇を噛んでうつむく。
「――ジルベール殿」
 ゼフィオンが口を開いた。
「その少年の行方は分からぬのだな?」
「皆目見当がつかん」
「分かった。我々がそいつを探し出して、何とかしよう」
「本当か」
 ジルベールは、喉から奇妙な呻き声を上げる。それは、この半魚の化物が持つ喜びの声らしかった。
「私のこの姿は治るのか」
「いずれはな。もう少し我慢しろ」
 ゼフィオンは、アスレシアの肩に手を置くと、ジルベールに背を向けた。
「行くぞ」
「あ、ああ……」
 動揺を抑えられぬまま、アスレシアはゼフィオンに続く。
 二人は、ジルベールの部屋を後にした。

 扉を閉めたとたん、ゼフィオンはため息混じりに言った。
「ずいぶん動揺していたな。サニト・ベイに近づくのが、そんなに恐ろしいか」
「馬鹿を言うな!」
 アスレシアは、反射的に声を荒げた。図らずも、その言葉が肯定を表してしまっていることに気づかない。
「恐れなどするものか! ただ……」
「ただ?」
「今まで漠然としていたあいつの影が、いきなり形をとって目の前に現れたから……」
 アスレシアは口を閉ざし、ゼフィオンを睨み据えた。
 ゼフィオンは、ふと表情を緩めると、アスレシアの頭を二、三度軽く叩く。
「動揺するのは、最初で最後だぞ」
「――分かっている。子供扱いするな」
 アスレシアは、荒っぽくゼフィオンの手を振り払った。
 ゼフィオンは、優しく笑うと歩き出す。
 その背中をじっと見つめていたアスレシアだったが、言いかけた言葉を呑み下すと、足早に後を追った。
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