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2014.06.18(Wed):黄昏人
第三章 三話
【More...】

 熱い湯が傷にしみて、アスレシアは歯を喰いしばった。
 ふらつく足を踏ん張り、かろうじて耐える。
 白大理石でつくられた豪奢な浴場である。たっぷりと湯を使い、数人の女たちがアスレシアの身体を清めていた。
 髪をくしけずり、爪の先まで丁寧に磨いていく。だが、その作業はあまりに機械的で無感情なものだった。女たちは一言も口を利かず、ただ黙々と決められた手順で仕事をこなしているだけらしい。だから、アスレシアの背にある深い矢傷も気にとめず、無造作に湯を浴びせるのだ。
「傷は……どれほどのものだ」
 アスレシアの問いにも、女たちは答えない。口を利くのを恐れているのではなく、本当に彼女の言葉が聞こえていないようだ。
「おい。私の言う事が……」
「無駄だ」
 不意に声が響いたかと思うと、入り口に一人の男が現れた。あの小柄な男だ。アスレシアは反射的に両腕で身体を覆い、後ずさる。
「ふふ……。その女たちは、全員耳と喉を潰してある。話しかけても無駄だ」
 男は、壁に背を預けると腕を組んだ。アスレシアは、伸びてくる女たちの手を振り払って吠えた。
「何をしに来た!」
「監視だ。お前なら、この女たちすべてを殺して逃げかねんだろう」
「ふざけるな」
 またも背中に湯をかけられ、アスレシアは顔をしかめた。いくら耳が聞こえなくても、傷を負っているのは見て分かるはずなのに、女たちは手を緩めようとはしない。足元に流れる湯が、うっすらと赤く染まっているのを認め、心の中で悪態をつく。
「傷の手当はしてくれるんだろうな。このままでは、血を失いすぎる」
「心配するな。大切な生贄だ」
 男は酷薄な笑みを浮かべて言った。
「生きたまま、デル=タルス様に捧げなければならぬ」
 男の口からその名が出るたびに、サニト・ベイの嘲笑が現れる。アスレシアは不快な気持ちを隠せず、面に出した。
(それにしても、このままでは戦うこともできないな……。あまりに深い傷は、治らないということか)
 息を吐くたびに背中が鈍く痛む。裂傷は瞬時にして治癒するが、この矢傷は今のところ治りそうにない。半人半魔の黄昏人には、表面上の傷を治す力しかないという事だろう。
 女たちは、やがてアスレシアの身体を清め終え、真新しい布で丁寧に身体を拭っていった。そして、その場で薬草をすり潰したものを彼女の背に塗りこみ、包帯を巻きつけた。男の言葉が真実であったので、アスレシアはとりあえず安堵の息をつく。これで、傷による命の心配はしなくてもいいわけだ。尤も、彼女の命が危険に晒されていることに変わりはないのだが。
 安堵から少し余裕ができた彼女は、男に向かって言った。
「……聞いてもいいか」
「何だ」
「デル=タルスというのは何者だ。私の知識の中に、そのような神はいない」
 彼女とて元は騎士の家に生まれた身である。しかも曽祖父より父まで三代続けて騎士団長を務めていた家柄だ。それゆえ、教育に関しては相当高いレベルのものを受けているといって良い。その彼女の知識の中に、デル=タルスなる名前の神は存在しなかった。
「デル=タルス様は、尊い白蛇の姿を持っておられる。そして、この世を欲望の世へと導かれる存在なのだ」
 男は、謳うように高らかに答えた。それから、侮蔑の表情をアスレシアへと注ぐ。
「美しく崇高な神の御名を、貴様ごときが知らずとも当然かもしれぬ」
「………」
 狂気の眼だ。こういう人間には言葉など通じない。話し合いに持っていくのは不可能だと判断し、アスレシアは腹をくくった。どうやら生贄になるしかないようである。
(白蛇の姿か……。モンスターの突然変異か何かだろうな)
 デル=タルスとやらには、それほど脅威は感じない。森によく潜んでいる土蛇の巨大化したものだろうと思われた。ただ問題は、だ。
(あいつが、どういう形で関わってくるのか)
 それは、実際にデル=タルスと向き合って見なければ分からない。
 密かに溜息をついたアスレシアの肩に、薄絹でつくられた煌(きら)びやかな衣がかけられた。

 そして、日没とともに狂宴は始まった。
 低く響き渡る太鼓の音と、それに唱和する人々の声。
 すり鉢型の円形コロシアムの中央部に、アスレシアと黒髪の女がいた。透けるような薄絹と全身に散りばめられた黄金や宝石の装飾品。しかし、その美しい姿に似つかわしくない重々しい鉄枷で、両手両足の動きを封じられている。
彼女たちの目の前には、白大理石の寝台がある。いったい何人の女がこの寝台で命を奪われたのだろうと、アスレシアはぼんやりと考えた。
 コロシアムの周囲は観客席のようになっており、白い服の信者たちで埋め尽くされていた。総勢百名ほどだろうか。地の底から沸きあがってくるような詠唱を続けている。
 アスレシアは背筋を真っ直ぐに伸ばし、油断なく周囲に気を配っていた。そうしながらも、どのようにしてデル=タルスと戦うか、懸命に頭を働かせる。
(あの男、どのような方法を用いてくるつもりだ……)
 例の小柄な男は教祖だった。恐らく儀式で彼女の命を奪おうとするのは、あの男だろう。普通に考えれば、生贄の命を奪うには剣を用いるはずだ。
(それを奪って武器にするしかないか……)
 人々の興奮が肌に突き刺さってくる。これほど多くの人間に“死”を望まれたのは、今までにない経験であった。さすがに背に冷たい汗が滲む。
 アスレシアの隣に立つ黒髪の女は、全身を激しく震わせている。今にも倒れそうなほどに顔面が蒼白い。何とか助けてやる事ができれば良いのだが、考える限りかなり困難だと思われた。せめて、この女に戦う意思が少しでもあれば可能性が出てくるが、力も技も持たぬ普通の娘に、それを望むのは酷というものだろう。
太鼓の音が一層大きくなり、人々の興奮が最高潮に達したとき、アスレシアの視界の端に小柄な男が現れた。白地に紫と金の刺繍を施した長衣と覆面をつけている。
 教祖であるその男が寝台の前まで厳かに歩いてくると、太鼓の音と詠唱はピタリとやんだ。先程までの耳を聾(ろう)せんばかりの音が一瞬にして消え、静寂が支配する。だが、人々の興奮は静まることなく、明らかに高まっていた。
教祖が両手を大きく広げ、叫んだ。
「崇高なデル=タルス神に仕える者たちよ! 今宵もまた、美しき贄を捧げるときが来た! さあ、祈り、踊り、己の欲望を満たすがよい。己の心の赴くままに、奪い、犯し、壊せ。その心こそが、デル=タルス様の糧となるのだ!!」
うおおお……と信者たちの歓喜の叫びがコロシアムを震わせた。
「さあ、美しき贄よ!至高の瞬間を迎えるがよい!」
 教祖はまず、黒髪の女に手を伸ばした。女はほんの少し抵抗する素振りを見せたが、あっさりと教祖に抱きかかえられ、寝台に横たえられた。そして、四肢をしっかりと固定される。
(やはり助けられない……)
 アスレシアは、身動きの取れぬ自分を呪いながら、女を見守るしかなかった。
「出でよ! 我が欲望の神よ!!」
「出でよ! 我が欲望の神よ!!」
 教祖に続いて信者たちが繰り返す。
 寝台の向こう側にあった鉄扉が、ゆっくりと軋んだ音を立てて開いていく。
 アスレシアは身構え、息を呑んで中から出てくるものを待ち受けた。
 扉の奥は、完全な闇。その中に真っ赤な光が二つ、揺れていた。シュウシュウと嫌な音が聞こえてきた。アスレシアの全身が総毛立つ。
「おお! 我が至高の神デル=タルスよ!」
 芝居がかった仕草で教祖は言うと、腰にあった短剣を引き抜いた。女が絹を裂いたような悲鳴を上げる。
 その恐怖の叫びに反応し、不快な音をゆっくりと引きずりながら、それは灯の下に姿を表した。――人間の五倍はゆうにあろう。とぐろを巻いた白く輝く身体は、途中で二手に分かれ、それぞれの先に巨大な頭がついている。
(双頭の蛇か!)
 アスレシアは、内心舌打ちをして叫んだ。
 一番面倒な相手である。二匹の蛇ならば一匹ずつ相手にできるが、双頭となれば至近距離で二匹同時に戦わなければならない。おまけに、身体は一つであるためか、やたらと連携が良いのである。手強い敵だ。
(とりあえず、あの教祖の剣を……)
 そう思って教祖に視線を移したアスレシアであったが。
「……?」
 明らかにその様子がおかしいことに気づいた。両手を大きく広げたまま、まったく動かない。いや、そればかりではなかった。気づけば、信者たちの放つ歓喜の声もいつの間にか消えている。
(何事だ?)
 信者たちの目は、どれも驚愕に見開かれていた。この大蛇がいつもと違うのだ、とアスレシアは悟った。しかし、どこが違うのか彼女には分からない。
「おい!」
 押し殺した声で教祖を呼んだ。静かであったため届いたらしい。教祖の身体がびくりと震え、彼女を振り返る。
「何が起きたんだ?」
 教祖は、信じられぬというふうに小さく首を振った。そして、震える声で答えた。
「……デル=タルス様が、双頭に……」
 直後。
 白い大蛇が一気に動いた。
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