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2014.07.11(Fri):黄昏人
第四章 四話
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 ゆらゆらと揺れ動く水の幕に、ゼフィオンは身構えた。
「貴様……水を使う力も……」
「ふふふ。“盾”だけじゃありません。水も使えるんですよ、私」
 幕は二手に分かれ、リーヌの左右に控えた。いつでもゼフィオンに襲いかかるようにしているのか、刃のごとく鋭利な形になっている。
「なぜ……そんな大きな力を持っている? よほどの魔力がなければ、そこまで自然を操ることはできない。元は人間であった黄昏人に、そんな能力はないはずだ」
 ゼフィオンの疑問に、リーヌは静かに微笑を浮かべた。
「普通の人間ならば、そうでしょう。ですが、私は元々“魔術師”でしたから」
「魔術師? ――なるほど、下地はあったというわけか」
「はい」
 水の刃は、不気味に揺らめいてゼフィオンを威嚇する。ゼフィオンは手元に武器がない事を苦々しく思いながら、足元にあった太い木の枝を手探りで取った。接近戦で三対一となると、不利であるのは間違いない。しかも、そのうち二つは生物ではない。水の変化した化物なのだ。
「来い!!」
 できるだけ敵を河から離して戦うべきだと判断した彼は、その場から更に数歩退き、大声を上げて挑発する。リーヌの表情がピクリと引きつると、指示を与えるべく両手をさっと振った。瞬時に、両脇に控えていた水の刃がゼフィオンめがけて飛んでくる。
「うおぉぉぉッ!」
 気合とともに、水の刃の一つを真横に薙ぎ払った。ざっと飛沫が散り、化物は真っ二つに裂かれる。確かな手応えを感じてゼフィオンは動きを止めた。が、次の瞬間。
「ぐっ!」
 飛び散った水飛沫が無数の小さな刃となり、彼の体を切り裂いていた。手足や腹部に鋭い痛みが走る。
「うふふ。痛いでしょう?研ぎ澄まされた水は、鉄すら斬るんですよ。どうです、もっと味わいますか?それとも肯いてくれますか?私と一緒にいれば、これ以上痛い思いはしなくて済みますけれど」
「黙れ! 何があろうと、貴様と一緒になどいるものか!!」
 叫ぶなり、またも水の刃が体を裂いていく。今度は飛沫ではない。通常の長剣以上はあろうかという長さの水刃が、両側から彼の頬と腿に赤い筋を引いた。先程よりも数段激しい痛みが体を貫く。
「さあ、どうします? おとなしく私と共にいてくださいますか?」
「断る!」
「強情なんですね。もっと苦痛を受けないと、分からないのかしら」
 いまや立場は完全に逆転していた。リーヌは見下すような視線をゼフィオンに投げつけてくる。それは、絶対に自分が勝つという自信に満ちた目だった。
 ゼフィオンは、油断なく化物たちの動きを見ながら、何とかして打ち破る方法を考える。
 彼は、黄昏人としては異端ともいえる混血である。そのため、他の黄昏人よりも魔力は強く、純血の下級魔族たち程度の魔力はあるつもりだった。だが、その力を持ってしてもリーヌの水を操る力には叶わないかもしれない。
(どうする……)
 助けを求めようにも、冥界とは一切連絡が取れない。死神たちも、所構わず人間界に現れたりはできないのだ。媒体となる存在――すなわち魔族の血を持つ黄昏人や死にゆこうとする魂、あるいは魔法陣など――がない限り、こちらへの道は閉ざされている。“盾”の魔力で気配を消されてしまっているゼフィオンに、冥界とつながる術はなかった。
「化物め……」
 ゼフィオンのつぶやきに、リーヌは可笑しそうに笑った。
「あなたにそんな事を言う資格なんて、ないと思いますけれど」
 再び手を上げる。二本の水の刃は、飼いならされた猟犬のようだ。俊敏に反応し、さっとその姿を崩して再び幕の姿となる。
「さあ、戻りましょう。料理が冷めてしまいますよ」
 まるで子供に言い聞かせるような口調で告げると、リーヌは上げた手をゆっくりと下ろした。水は忠実に彼女の指示に従い、ゼフィオンの顔へと覆いかぶさってくる。とっさに腕で顔を庇ったが、水の幕は、あっという間に彼の頭部全体を包み込んだ。
「う……ぁ……っ」
 息ができない。
 鼻と口から大量に水が入り込んできた。吐き出そうとするが、すっぽりと水に覆われているため、咳き込む事すらできず、もがく。空気を求めれば求めるほど、代わりに水が浸入してくる。鼻の奥と喉がカッと熱くなった。あの激流に呑まれても感じなかったはずの、 水に対する恐怖が沸き起こる。
 ガクリと膝をついたゼフィオンを見て、リーヌは満足そうに肯くと小さく指を鳴らした。水がすぐさまゼフィオンの頭部から引いていく。
 激しく咳き込み、水を吐き出しながら、ゼフィオンは地に突っ伏した。
「あまり手を煩わせないでくださいね」
 じゃり、と石を踏む音が目の前で響いた。苦しさに閉じていた目を開くと、鼻先にリーヌの細い足があった。
「これから私たちは、仲良くやっていかなければならないんですから」
「断ると……言っている」
 苦しい息を抑え込み、ゼフィオンは即座に拒んだ。よもやこの期に及んで拒まれるとは思っていなかったのか、リーヌの顔が露骨に強張る。
「いい加減にしてください!あなたが私に逆らえないのは、十分に分かったでしょう!」
 ゼフィオンは地面に倒れたまま、肩で大きく息をつく。リーヌは屈みこむと、彼の苦しげな顔を覗き込んできた。翳りのある淡い茶色の瞳と漆黒の瞳が、静かに火花を散らす。
「――お前は」
 長い沈黙を破ったのはゼフィオンだった。荒い息の合間を縫って、搾り出すように彼は言った。
「黄昏人になって、不幸だと思うか」
「え?」
「人でなくなったのは、不幸以外でないと考えているのか」
 唐突な質問に、リーヌは戸惑って視線を逸らした。だが、無視できなかったのか震える声で答えた。
「当然……でしょう。こんな運命を受け入れるなんて……私にはできません」
「せめて、まだ幸か不幸か決めるべきではないとは、考えられないか」
「……馬鹿なことを言わないでください。そんなこと、思えるわけがないでしょう」
「そうか」
 ゼフィオンは、ようやく息を落ち着かせ、上体を起こした。水を従えた哀れな黄昏人を見つめる。その目には、先程までの憤怒に代わり悲哀が満ちていた。
「お前は……アスレシアとは違うな」
 訝しげにリーヌは顔を上げた。
「アスレシア?」
ゼフィオンは肯く。
「あの時、俺と一緒にいた女だ。あいつも黄昏人だ。お前とまったく同じで、元は人間だった。ある事情から死に直面したところを、我が主が血を与えたんだ。あいつも、まだ完全には今の自分を受け入れてはいない。だが、あいつは……お前と違って逃げようとはしていない」
 リーヌはそれ以上聞きたくないといわんばかりに激しくかぶりを振ると、両手で耳を塞いだ。
「馬鹿なこと言わないで! あなたは私から逃れるために、そんな出鱈目を!」
「信じないなら、それでいい」
 ゼフィオンは、強引にリーヌの言葉を斬り捨てた。
「ただ俺が感じた事を言っただけだからな。信じるも信じないもお前の勝手だ」
「………」
 リーヌの肩が小さく震えた。彼女の背後に控える水の幕も、ゆらりと大きく揺れる。
「黄昏人が嫌だと言うくせに、その力を使う。その矛盾に、お前自身気づいているのだろう。……哀れな女だな」
 ゼフィオンは立ち上がると、服の埃を払った。ぶるりと頭を振って水を飛ばす。リーヌはぐったりと座り込んだまま、動こうとはしなかった。
「俺は行くぞ。世話になったことに対してだけ礼を言う。だが、それ以外に関しては、お前を許すつもりはない。二度と顔は見せるな。次に顔を見せたら容赦はしない」
 ゼフィオンは、ほんの少しリーヌの反応を待った。だが、彼女が何の動きも示さないと見て取ると背を向けた。
「どうしても行くんですか?」
 足を踏み出したその背に、か細い声がかかる。ゼフィオンは足を止めた。
「ああ」
「あの女性の元へ戻るんですか?」
 わずかに振り返り、目の端で彼女を捉えた。リーヌは、力ずくでも彼を留め置こうという気持ちはすっかり失せてしまったようだった。ただ力なくうつむいている。
「……大切な人なんですね。それは……おなじ黄昏人だから?」
 ゼフィオンは、唇の端に笑いを浮かべる。
「違うな。そういう問題ではない。あいつは、俺にとって……」
 その先の言葉を呑み込んだ。図らずも答えを導き出してしまったことに気づき、微笑を深める。知ってしまった己の心は、もうたばかる事が出来ないではないか。
 蒼空を仰ぐと、再び歩き出す。
 翌日。
 今までの空白が嘘のように、ゼフィオンの頭上で大鴉と黒猫が笑った。
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