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2014.09.05(Fri):黄昏人
第五章 三話
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イェルザーンは、哀れなほどに狼狽していた。
 とりあえず身体の方が先に反応して、脇にあった剣を手に取ったものの、その後まったく動けずにいた。頭の中で何が起きたのか懸命に考えているらしく、額に脂汗が浮かんでいる。
 引き裂かれた衣服の上にゼフィオンから受け取ったマントをまとい、アスレシアはゆっくりとベッドから降り立った。まだ薬が残っているのだろう。足元が揺れた。前に出て戦うのは危険だと判断した彼女は、ゼフィオンの陰に位置を定めた。
 頭の靄がようやく薄れ、視覚、聴覚ともに戻ってくる。
「お前ら……何者だ」
 イェルザーンが震える声で尋ねた。傭兵を生業としていただけあり、相手の力量を見抜く力には長けているのだ。怯えきった氷色の目は、まずネイヴァを捉え、ゼフィオンへと移り、そして最後にアスレシアに止まった。
「アスレシア……お前、何があったんだ?」
「――いろいろと」
 アスレシアは冷笑を浮かべ、答えた。
「こ、こいつらは……どこから入ってきた? いや、それよりも……あの時、お前の身体から出た気は何なんだ」
 先程、アスレシアが絶叫を上げたときの場面を思い出したらしく、イェルザーンはごくりと生唾を飲んだ。
「二年経てば、変わる。国も……人も」
 アスレシアは、傍らにあった古ぼけたテーブルに手を伸ばし、置かれていたペーパーナイフを取り上げた。ランプの灯に刃を照らす。橙色の光を反射して鈍い光を放つ銅製のそれは、見覚えがあった。イェルザーンの愛用していたものだ。
「アスレシア。もういい?」
 少し苛立った様子でネイヴァが口を開く。イェルザーンが、滑稽なまでに腰を引いて彼女に切っ先を向けた。その姿に、ネイヴァは面白くもなさそうに鼻で笑った。
「ちょっとは質が良いかと思ったけど、これじゃあね……。その辺のコソ泥とたいして違わないじゃない」
「いらないか? ならば俺が頂くぞ」
 ゼフィオンがすかさず言う。ネイヴァはピシャリと彼の腕を叩いた。
「黙りな、黒狼。人をこっちへ来る足にしておいて、偉そうな事言うんじゃないよ。ま、こんな魂でもないよりましだからね。ありがたく貰ってあげる」
 そして、今一度アスレシアに向かって言った。
「別れは済んだ? 黄昏人」
「ああ」
 アスレシアは肩をすくめる。イェルザーンは身じろぎもせずに三人の会話を聞いていたが、最後のネイヴァの言葉を耳にして大きく息を呑んだ。
「たっ……黄昏人だと!? アスレシア、お前、悪魔に魂を売ったのか!」
 余計な知識を持っている男だ、とアスレシアは眉をしかめた。だが、反論はしなかった。この男がどのように解釈し、判断しようと構わない。どの道、この先誤解を受け続けるということはないのだ。男の命は程なく潰えるのだから。
 ネイヴァが腰の小剣を抜いた。彼女の得物は、この小振りの小剣だけだ。しかし、その俊敏さはあらゆる敵を翻弄し、普通の剣どころか大剣や戦斧を相手にしても対等に渡り合うのである。無論、その切れ味は口にするまでもない。
「さぁて。自分の剣で魂を手に入れるのは、久しぶりだわ。ゾクゾクする」
 沸き起こる興奮を隠そうともせず、ネイヴァは真っ赤な舌で刃を一舐めする。黄金色の大きな瞳が、イェルザーンという獲物を捕らえた。姿勢を若干低くして構える姿は、猫そのものだ。
「く……くそっ……」
 イェルザーンは、恐怖に喘ぎながらも何とかネイヴァと対峙する姿勢を見せた。剣の柄を両手で握りしめ、構えてみせる。
「へえ。少しは楽しませてくれるの?」
ネイヴァはそう言うと、小剣を持った手をだらりと下げた。そして、かかって来いとばかりに空いている手の人差し指を立て、相手を呼ぶ仕草を取った。イェルザーンの顔が、見る見るうちに怒りで赤く染まる。
「ぬおおおっ」
イェルザーンは剣を振りかぶってネイヴァに斬りかかった。
キィン、と軽やかな音を立て、長剣と小剣がぶつかり合う。あまりに高い音がしたので、アスレシアは一瞬小剣が飛ばされたのかと思った。だが、無論そんな事はない。ネイヴァはしっかりと長剣を弾き返し、相手の懐に飛び込んで間合いを詰めていた。あまりに素早い動きにイェルザーンは次の攻撃に入る隙も与えられず、防戦一方となる。
首筋をかすめたかと思うと次の瞬間には脇腹を裂く。直後に腕、足へと攻撃は移り、再び空間のできた腹へ。小剣の刃は、絵筆のごとくイェルザーンを朱に塗り替えていく。
「よく折れないな」
感嘆のつぶやきを洩らすアスレシアに、ゼフィオンは「ああ」と肯いて軽く笑った。
「魔力の剣だ。通常の剣よりも数倍丈夫だし、相手の魂を削る」
「魂を?」
「そうだ。見てみろ。小剣の浅い傷を受けただけなのに、相手の男の力がなくなっているだろう」
言われてイェルザーンの動きを注視する。――なるほど。確かに表面を傷つけられているだけなのに、ずいぶんと辛そうだ。
アスレシアは、それを見てふと思い出した。たしか、自分が持っている長剣はネイヴァが持ってきたものだ。大蛇を一振りで屠ったあの剣も、恐らく魔力の剣なのだろう。
(小剣でこれだけ威力を持つのなら、長剣ならば相当な相手を倒せそうだな)
ネイヴァの踊るような攻撃を眺めながら、思う。今やイェルザーンは立っているのがやっとという状態になっていた。まるでネズミをいたぶって殺す猫である。ネイヴァは残忍ともいえる笑みを浮かべ、男の肌を切り裂いていく。
「黒猫。そろそろ終わりにしろ」
ゼフィオンが声をかけた。ネイヴァは露骨に眉をしかめると、鋭い一撃をイェルザーンの肩に見舞った。服が紙切れのように裂け、鮮血が飛び散る。イェルザーンは後方に吹き飛ばされて仰向けに倒れこむと、鈍い呻き声を上げた。
「死ぬ前に恐怖を味わった方が、少しでも質が良くなるのよ。あんたもそれくらい知ってるでしょ」
「誰か来る。仲間のようだ」
ゼフィオンの言葉に、二人の女は扉に目を向けた。
ネイヴァは忌々しげに舌打ちをすると、小剣についた血を服で拭った。
「仕方ないわね。遊びは終わり」
「ひ……」
イェルザーンは、己の血で真っ赤に染まった顔を引きつらせる。そこには、二年前の不敵な傭兵の面影など微塵もありはしなかった。アスレシアは、嫌悪に満ちた目でその姿を見つめた。なぜ、こんな男を愛しいと思えたのだろう?
ギラリと白い刃が一閃したかと思うと、次の瞬間、小剣はイェルザーンの左胸に深々と飲み込まれていた。ほんの一瞬だけ、部屋の空気が止まった。
「う……あ……」
無造作に刃が引き抜かれ、大量の血が床にこぼれ落ちた。男の巨体は、ネイヴァに体重を預けるように前方に倒れこんだ。
「アニキ!」
派手な音を立てて扉が開く。駆け込んできたのは、あの宿屋で彼女を呼びに来た男だった。入ってきた途端、血に染まるイェルザーンを目の当たりにし、立ちすくむ。
「少し遅かったな」
ゼフィオンが一歩前に進み出た。男は剣の柄に手を伸ばしたが、抜こうとはしない。抜くと同時に自分の命がなくなる事を理解しているのだ。そのまま少しずつ後退る。
「失せろ!」
ゼフィオンが大喝した。その声に男は無様に転がり、ヒイヒイと喚きながら逃げていった。
「可哀相にね。誰もあんたを助けてくれなかったよ」
ネイヴァがくすくすと笑い、支えていたイェルザーンの身体を乱暴に床に横たえた。アスレシアは、恐怖に歪んだ男の死顔に視線を落とす。
(思い出したくもない……)
だが、その気持ちとは裏腹に、男と過ごした一年余りの出来事が、驚くほど鮮明に蘇ってきた。
あの時の自分は、間違いなくイェルザーンを愛していた。そして、幸せだったのだ。
ネイヴァがイェルザーンの額に手をかざす。ぼんやりとした白い球体が、淡い光を放ち身体から抜け出してきた。
(これが……魂なのか)
悪人のものなのに美しい、とアスレシアは思った。それとも、善悪など関係なくすべての魂は美しいのだろうか。
ペーパーナイフを無造作に放り投げる。銅の刃は男の胸に当たり、乾いた音を立てて床に落ちた。瞳を曇らせ、アスレシアは男の顔から目を逸らした。
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