FC2ブログ
2014.11.04(Tue):黄昏人
第七章 二話
【More...】

 西イフェリア大公国の南東部にあるケーズの村。何の変哲もない、地図にも載らぬような寒村である。森を切り開いたわずかな田畑と森の恵みを日々の糧として、村人たちはひっそりと生きていた。
 二十一年前、この村の外れに住む女が一人の男の子を産んだ。女は森に住む少数民族の出身で、村人とはほとんど交流を持つことはなかった。そのため、彼女がなぜ部族を出て村に住むようになったのか誰も聞いてはいなかったし、産まれた子供の父親が誰なのかなど、当然知る者はいなかった。
 男の子が六つになった年のある日、母子は忽然と姿を消した。
 その数日前に村の子供たち数名が行方知れずになるという事件が起きており、村人たちは、母子の仕業ではないかと口々に騒ぎ立てた。しかし、結局真実が分かる事はなく、ただ無為に時間だけが流れた。
 そして、いつしか母子は村人たちの記憶から消えていった……。

「深い森だな」
 アスレシアは木々を見上げ、つぶやいた。しかし、返事はない。硬い表情を崩さぬままのゼフィオンを見て、彼女はコズウェイルから受けた言葉を思い出した。
「ケーズは、ゼフィオンの生まれた村だ。しかし、あいつにとって過去は苦痛以外の何ものも与えぬだろう。母とともに、かなり迫害されたからな。そして、あいつは、未だその呪縛から逃れきっていない。アスレシア。ケーズにいる間は、お前が仕切った方が良いかもしれぬ」
 アスレシアは静かにため息をついた。
しっかりしろ、とは言えない。忘れろ、とも。
 記憶は、他人に言われて克服できるものではない。本人に任せるしかないのである。
 ゼフィオンの横顔から目をそらし、周囲を見回したアスレシアは、ふと一本の木に目をとめた。幹に小さく紋章のようなものが刻まれている。見たことのないものだ。この大陸にこのような紋章を持つ国はない。
「ずいぶんと複雑な紋章だな……」
 なにを模(かたど)ったものなのだろう。アスレシアは、ゆっくりと指でなぞっていった。と、後ろから素早く伸びてきた手が、彼女の腕を強く掴んだ。
「ゼフィオン……」
「――これは、扉だ」
「扉?」
 ゼフィオンは、強張った顔を紋章に近づけ、食い入るように見入った。
「冥界と人間界をつなぐ扉だ。お前も知っているだろう。魔族が人間界に来るには扉が必要だ。死期にある人間、同じ魔族の血を持つ者、あるいはこの紋章や魔法陣といった扉がな。だから、俺たちもここに来たんだ。ペンドラゴンの奴が、これを頼りに俺たちを連れて来た。……これは、一人の魔族の男が作ったものだ」
 ゼフィオンの瞳に、深い悲しみが宿る。
「あの家に行くために」
わずかに顔を動かし、彼は森の奥を見た。アスレシアもつられて目を向ける。そこには、木々の中に埋もれるようにして、朽ち果てた一軒の小屋があった。
「あ、おい」
 ゼフィオンは身を翻し、躊躇うことなく歩き出す。アスレシアは、慌てて後を追った。
 小屋への道は、すでに草に覆われて跡形もない。しかし、ゼフィオンは、まるで道が見えているかのごとく足を緩めず歩いていく。その様子を見たアスレシアは、この小屋と先程の紋章が何であるかを理解した。
(そういう……ことか。ここは……)

 小屋の手前で足を止めたゼフィオンは、目を細めて無残な姿を晒す小屋を見上げると、感慨深げにつぶやいた。
「――まだ、残っていたのか」
 ひっそりとたたずむ木造の小屋は、主の帰りを待ち続けていた忠犬を思わせる。
「俺の生まれた家、だ」
 ようやくゼフィオンはアスレシアと目を合わせ、小さく笑った。険しかった表情が、幾分和らぐ。
 二人は半壊した扉を開け、中へと足を踏み入れた。小さな台所と部屋がひとつ。それですべてだ。床はあちこちが腐って抜け落ち、雑草が顔を覗かせている。部屋の隅には、古ぼけた椅子がたっぷりと埃を被って転がっていた。
「よくこんな狭い所で暮らしていたものだな。自分でも呆れる」
「いくつの時までいたんだ?」
「五つ、いや六つ……かな。はっきり覚えていない」
 ゼフィオンは、所々崩れたレンガ造りの竈の前に立つと、そっと手を滑らせた。いつもここに屈んでいた細い背中が瞼に浮かぶ。
「父は、母に会いに来るために、あの木に扉の紋章を刻んだそうだ。母は何かある度にあの木の下へ行き、木に向かって話しかけていた。あの時は何も知らなかったから、そんな母が何となく怖くて父のことも聞けなかったんだが……。今思えば、ほんの少しでも父のことを聞いておけばよかった。今更知りたいと思っても、もう不可能だからな」
「………」
 アスレシアの瞳が深い悲しみを湛えている事に気づき、ゼフィオンは「すまない」と苦い笑みを見せる。
「こんな事を話しても、戸惑うだけだな」
「……そんな事はない」
 アスレシアは、小さくかぶりを振った。彼女が自分の事のように痛みを感じてくれていることがよく分かり、ゼフィオンはかすかに微笑んだ。
 そっと木戸を開けて表に出る。アスレシアも後に続いた。普段よりもほんの少し距離を置いて、黙って彼の後をついてくる。ゼフィオンは、何か話しかけようかとも思ったが、思い直して口を閉ざした。せっかくの彼女の静かな心遣いを、無にすることもない。
 草をかき分けて歩き、再び紋章の木の下へと戻る。立ち止まった彼は、ほんの少し躊躇ったのち、己を奮い立たせるように囁いた。
「……行こう」
 おのれの言葉に、一時はほぐれた緊張が、再び高まってくる。
 十五年もの月日が流れて大人になったとはいえ、面影は残っているはずだ。村人たちとの接触は極めて少なかったが、記憶力の良い者であれば、すぐに気づくだろう。もしも気づかれたら、自分はどんな態度を取るべきなのか。
 笑って久しぶりとでも言うのか。それとも別人だとしらを切るか。どちらにしても自分にはできそうにない。
 アスレシアに行こうと言ったものの、ゼフィオンの足は動かなかった。彼女も、そんな彼の気持ちを察してか、自ら動き出そうとはしなかった。
 二人は紋章を見つめ、気まずい面持ちで立ち尽くす。と、その時。
 不意に空気が乱れた。ハッとゼフィオンは顔を上げる。
「どうした?」
「誰か来る……」
 狼ならではの鋭い聴覚が、何者かの存在を捕らえていた。アスレシアが反射的に街道の先へと目を転じたが、その先に人の姿は影も形もない。
「村人か?」
「……ああ。そうとしか考えられない。多いな」
 低く答えるゼフィオンの表情は、みるみるうちに険しくなった。こめかみの辺りが抑えようもなく痙攣する。思っても見なかった展開に、彼らは咄嗟に取るべき行動が見出せなかった。前方より現れるであろう村人たちの影を、ただ待ち受けるしかできない。
 ほどなく、ゼフィオンの言葉を裏付けるように、木々の向こう側に小さな人影が現れた。
「いたぞ!」
 上がった声に、ゼフィオンの身体がびくりと反応する。アスレシアは、わずかに眉をひそめると、彼を庇うように前に進み出た。右手は、しっかりと剣の柄にかかっている。
 全部で十二、三人にも上るだろうか。村人たちはひどく急いだ様子で彼らに近づいてきた。だが、殺気を放つアスレシアの姿を見て取ると、怯えた様子で足を緩めた。
「………」
 二人のかなり手前で立ち止まった男たちは、まず、アスレシアへと視線を注いだ。どの顔も、困惑と恐怖が入り混じったような複雑な表情を浮かべている。
「何の用だ」
 ぎらりと青灰色の瞳に鋭い輝きを秘め、アスレシアは低く言い放つ。先頭にいた男が、敵意がない事を示すつもりなのか、大げさに両手を挙げて見せた。
「ご、誤解しないでくれ。俺たちは、助けを求めに来たんだ」
「助け?」
 二人は声を揃えて問い返す。ゼフィオンは嫌な予感に小さく舌打ちをした。
先程彼らは「いたぞ」と言った。それは、アスレシアとゼフィオンを探していた事に他ならない。つまり、自分たちが来訪する事を、事前に誰かが伝えていたのだ。彼らが助けを求めなければならない状況を作り出して。
男は何から話せばいいのか分からぬ様子で、しばし口を開けたまま途方にくれていた。が、後方の男たちに急かされて、つっかえながらも語りだした。
「俺たちは、この先のケーズの村に住む者だ。実は、つい何日か前に一人の少年が村に来てな……。大変な事になっちまったんだ」
「大変な事……」
 村人たちは不安気にぼそぼそと言葉を交わす。アスレシアは目を細めて彼らを窺っていたが、やがて剣の柄から手を離してゼフィオンを振り返った。小さく唇を動かす。
『サニト・ベイ』
 どうやら、村人たちと言葉を交わしたことで、少年の嘲笑を得たらしい。ゼフィオンは肯いた。
「何があったか話してくれ」
 アスレシアに促され、先頭の男が、震える声で再び口を開いた。
「子供たちが……村の子供たちが、訳のわからねえ化け物に捕まっちまってるんだ。その少年が作り出した炎の化け物に……。逃げようとすれば、焼き殺されちまう」
 口にしてから、自分たちが晒されている恐ろしい現実を改めて思い知ったようだ。男は、うっすらと涙を浮かべて頭を抱え込んだ。
「なあ、助けてくれ。あいつがいなくなる前に言ったんだよ。後から来る男女の二人連れでなければ、こいつを退治できないって。それって、あんたたちの事だろう? 毎日探してたんだよ……。なあ、早く何とかしてくれよ!」
 二人は、顔を見合わせる。
 記憶に染みついた森の風が、冷たくゼフィオンの頬を切った。
関連記事
スポンサーサイト



TrackBackURL
→http://mym5319.blog72.fc2.com/tb.php/80-09af173e
Secret