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2014.11.04(Tue):黄昏人
第七章 三話
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 十五年という年月は、人の記憶を薄れさせ、不鮮明なものにするには、十分なのかもしれない。
 村人たちの中に、ゼフィオンに気づいた者はいなかった。恐れていた事態は何一つ起こらず、彼は村人に囲まれ、彼らを従える形で村に足を踏
み入れた。
「なつかしいな……」
 無意識のうちにつぶやく。
 小さな家が点在し、周囲はすべて畑である。高い建造物は一切見当たらない。村の中心などによく見られる時計台も、ここにはない。
 大丈夫なのかと小声で問いかけてきたアスレシアに、ゼフィオンはかすかに微笑んでみせた。
 村の一番大きな通りを歩く。と言っても、舗装すらされておらず、歩くたびに乾いた砂が長靴(ちょうか)を汚す道だ。一行は巡礼者のように長い列を作り、ぞろぞろと村の中へと歩いていった。
「ああ、そうだ。名前、教えてくれないか」
 先程アスレシアと言葉を交わした男が、不意にそんな言葉と共に振り返った。男にとっては、単なる礼儀の一つとして名前を尋ねただけだったのだろう。だが、それはゼフィオンを動揺させるには十分すぎる一言だった。束の間落ち着きかけた鼓動が、再び早鐘のごとく早まる。頬を引きつらせる彼に代わって、アスレシアが慌てた様子で口を開いた。
「カ……カーヴィル。この男は、カーヴィルだ。私は、アスレシア」
 彼女の方も、負けず劣らず動揺していたらしい。咄嗟に彼女が口にしたのは、行方知れずとなった弟の名だった。言ってから、かすかに眉をしかめている。
 男は告げられた名を疑う様子もなく繰り返すと、「よろしく頼むよ」と白い歯を見せた。
「………」
 ゼフィオンは、うつむいた。
 男の邪気のない顔に、恐ろしい勢いで不快な感情が沸き上がってくる。喉から洩れそうになる唸り声を懸命に押し殺し、彼は唇を噛んだ。
 なぜ、気づかないのか。なぜ、分からないのか。その間の抜けた笑顔が、人の心を抉る残酷な凶器となっているということが――なぜ?
(お前も、お前も……そして、お前もだ)
 あの時自分を嘲っていた笑顔が、そっくりそのままここにある。
 なぜ、誰一人として、思い出さない?
 いっそ、男の胸ぐらを掴み叫びたい。俺だ。ゼフィオンだ。お前たちに苛められ続けていたケリンの息子だ。そう叫んで、拳を叩きつけたい。
 握りしめた手がぶるりと震えた。首筋にぴりぴりとした痛みが走る。そして。
「――あそこだよ」
 男の声に我に返った。
 不安げなアスレシアの瞳が、彼を見上げていた。

 家々の間を抜けたその場所は、ちょうど村の中央に位置する広場だった。物置のようなレンガ造りの小屋が二棟、並んで建っている。その建物に挟まれた空間に、それはいた。
 ゼフィオンとアスレシアが足を止める。後からぞろぞろとついて歩いていた者たちは、かなり手前で立ち止まっており、遠巻きに彼らの様子を窺っていた。女たちが家の中から飛び出してきてその群れに加わっていく。
「……確かに、化け物だな」
 漂ってくる熱気に眉をしかめ、ゼフィオンは言った。
 巨大な炎の塊。
 地上からほんのわずか上に浮かび、ゆらゆらと揺れている。中心部は白く、外にいくほど黄、橙、赤と美しく色合いを変化させ、時折黒っぽい煙を噴き上げていた。大人の男が二人並んだほどの背丈と幅を持った巨大な炎だ。
 そして、その向こう側。揺らめく陽炎越しに、子供たちが十人程度いた。身を縮め、一箇所に固まっている。数日間この状態に置かれ、衰弱しきっているのは明らかだった。
「生きてるんだ」
 男の声が震える。
「あいつは、全部見えてる。俺たちの動きも分かってるんだよ。逃げようとした子供が三人、助けようとした大人が二人、犠牲になった……」
 言われて、炎の傍らに黒いものが転がっている事にゼフィオンは気づいた。それが何なのかを一瞬で確認して、目を背ける。とても直視できるものではない。
「その少年は、私たちでなければ倒せない、と言ったんだな?」
 アスレシアの言葉に、男は怯えた目を二人に向けてきた。
「ああ。……あいつはいったい何者なんだ?」
 ゼフィオンは、答える代わりに大きなため息をついた。炎から視線を外さぬまま、ぼそりとつぶやく。
「鬼ごっこの再開、か」
 アスレシアはそっけなく「そうだな」とだけ答える。二人はしばし黙して炎に視線を注いだ。――やがて。
「どうする?」
 自身への問いかけとも取れるほどの小声で、アスレシアが言った。ゼフィオンは一呼吸置くと、じりじりと後方に退いていた男を振り返った。
「後は俺たちに任せろ」
 男は、一刻も早くその場を離れたかったに違いない。ゼフィオンの言葉を聞くや否や、後方の群集の中に駆けていった。村人たちは、口々に何かを言いながら男を出迎える。
 声の届く範囲に誰もいなくなったのを確かめ、アスレシアが口を開いた。
「冥界の化け物か?」
「いや、冥界にもこんな奴はいない。炎の魔力で作り出された擬似生命体……とでも呼べば良いのかな。俺も、こんな化け物は初めてだ」
「……戦ってみるしかないか」
 彼女の意見にゼフィオンは溜息で答えた。試しに戦ってみるというには、あまりにも危険な敵だ。
「いくらなんでも、それは止めろ。いくらお前の腕であっても、見ただけであれの力は分からないだろう」
「……それは、そうだが」
 アスレシアは唇を噛んで、不満を表した。
「このまま眺めていても、なにも分からない」
「だからといって、力任せに飛びこむなど馬鹿のすることだ。冷静になれ」
「私は十分冷静だ。お前が慎重になりすぎているんだろう」
「慎重になりすぎて悪い事はない。下手に怪我をしてみろ。それこそサニト・ベイの思うつぼだ」
「しかし……」
 更に表情を固くし、口を開こうとしたアスレシアであったが、不意に言葉を呑んだ。弾かれたように振り返った彼女の口から、鋭い声が上がる。
「サニト・ベイ……!?」
 その名に呼応するかのように、真紅の合間に白金の幻がくっきりと嗤った。まるで切り絵のごとく浮かび上がる朱色の唇と白い面。
 ゼフィオンの背筋にも、冷たいものが走った。
「おのれ! また、私たちを観察していたのか!」
 幻は答えぬ。陽炎に溶け込み、ゆらゆらと蜃気楼のごとく大気の中に漂う。何も語らず、ただ嗤うだけだ。
 アスレシアは呪詛と共に剣を引き抜いた。彼女の背負う殺気が急激に膨れ上がるのを感じ取り、ゼフィオンは慌てて手を伸ばした。
「待て!」
 今にも飛び掛りそうな彼女の腕を強く掴み、動きを封じる。振り返った青灰色の瞳の牝豹は、自分を引き止めた手を見下ろすと、怒りを剥き出しにして唸った。
「何をするんだ」
「冷静になれ。ここは一度様子を見て、この化け物を知るべきだ」
「どうやって?」
「囮を使うなりすれば、すぐに行動や力の程度は分かる。それからでも……」
「なら、私が行く」
 語尾を攫い、アスレシアは言った。
「私が囮として、あれと剣を交えればいい。そうすれば、お前が戦いやすくなる」
「馬鹿を言うな!」
 思わずゼフィオンは声を荒げた。彼女の腕を引き寄せると、炎の傍らに転がる煤けた物体を指し示す。
「お前がああなる可能性は、十分にあるんだぞ。俺もお前も、こんな所で無駄に怪我をするわけにはいかない。それくらい分かるだろう?」
 アスレシアの顔が歪む。かつては人であった物。天空に向かい苦悶の叫びを上げたまま炭となりはてたそれを、彼女は鋭く睨み据えた。
「……では、どうしろと?」
 掴まれた腕を解こうと身を捩る。だが、ゼフィオンが離すつもりがないと分かると、自身を落ち着かせようとするかのように大きく溜息をついた。鋭い視線をそのまま彼の上に滑らせる。
「自分も行かない上に私を止めるなら、誰を囮にするつもりなんだ。お前は」
 青灰色の刃が突き刺さる。わずかな躊躇を間に挟み、ゼフィオンは答えた。
「それは……例えば、犬とか猫、家畜でもいい。村にいる何かを……」
 だが。
「嘘だ」
 鞭のように、彼女は遮った。抗えず口を閉ざしたゼフィオンに、挑むように言葉を投げつける。
「お前の頭の中には誰がいる? 誰を前提にして囮と言ったんだ」
「………」
「犬や猫なんかじゃない。お前の頭にいるのは……」
 アスレシアの表情が一変した。目を見開き、息を呑む彼に向かい、形の良い唇から出たのは、厳しさと哀しさがないまぜになった低く囁く声。
「ケーズの村人だ。お前は……彼らを、助けるんじゃないのか?」
「な……」
 ざあっと音を立て、顔から一気に血の気が引いた。心臓を鷲づかみにされたように胸が締めつけられる。
『彼らを助けるんじゃないのか?』――それは。
『彼らを殺したいのか?』
 心は、彼女の言葉を捻じ曲げ、歪んだ凶器へと変えた。深く深く、心を抉る凶器へと。
 全身を稲妻が貫いた。
 自分でも抑えきれなかった。気づけば、矢を投げ捨てた彼の右手は、彼女の頬を力一杯打っていた。乾いた音が周囲に響き渡る。群集の中から動揺の悲鳴が沸き起こった。
「………!」
 青灰色の瞳と漆黒の瞳が激しくぶつかり合う。
「アス……」
「おい! 何やってるんだ! そんなとこで痴話喧嘩か!?」
 群衆の中から抗議と非難の声が上がった。
 硬直するゼフィオン。アスレシアの瞳が地に落ちる。そして。
 次の瞬間、彼女は身を翻した。魔力の剣を振りかざし、大声を上げて真正面から幻をまとった炎に向かって切り込んでゆく。それは囮などではない。明らかに戦うためだった。
 目の前で始まった炎とアスレシアの激しい戦闘を、ゼフィオンは半ば茫然と見つめた。
(何を……やっているんだ、俺は!)
 目をきつく閉じ、天を仰ぐ。長弓を握りしめる手が、怒りに震えた。
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