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2014.12.06(Sat):黄昏人
第十章 一話
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 北方大陸のさらに北の果てに、小さな島がある。
 名はバジャ。北限の島と冠する雪と氷で覆われた大地。
 棲まうのは、わずかな獣と雪人(イエティ)とよばれる古代の種族のみ――。

「そろそろだな」
 ソファに身を沈めてひとりごちたのは、冥界の伯爵コズウェイルだ。
 追い続けていた少年の気配を北の果てに見出し、死神は酷薄な、それでいてひどく満ち足りた笑みを浮かべた。
「失礼します」
 ノックと同時に声がする。思考を破られ、コズウェイルは一瞬、不機嫌に表情を歪めた。
「何だ」
 扉が開く。入ってきたのは、小柄で貧相な男だ。コズウェイルは、ふと、なぜこの男がペンドラゴンなどという魔族も一目置く人間の英雄と同じ名を持つのか、と脈絡のないことを考えた。
「アベリアル様がお見えですが」
「アベリアルが? ここへ?」
 自分が彼女の元を訪れる事はあっても、彼女がここを訪れる事はないと思っていた。主の戸惑った様子に、ペンドラゴンは小首を傾げる。
「どうします? お通ししてよろしいですか?」
「まさか、門前払いを食わせるわけにもゆくまい……というよりも。ちょうど良かった。私も会いに行こうと思っていたところだ」
 コズウェイルは立ち上がると、ペンドラゴンを先に追い出し、自身も私室を後にした。応接室へ向かう廊下を歩きながら、思いを巡らせる。
 ――妙な縁、と言えるだろう。当初は貴族の中で最も気の合わぬ最低の女だと、頭から決めつけていた。だが、何がきっかけとなるか分からないものだ。あのサニト・ベイという存在を通して、幾度となく顔を合わせ言葉を交わすうち、彼女を嫌悪する心は少しずつ影を潜め、代わって親近感ともいうべき感情が現れはじめていた。
 どの酒を開けようか、と考えている自分に苦笑を投げかけ、コズウェイルは応接室の扉を開ける。アベリアルは、すでにソファに座って待っていた。今日は、白を基調とした上品なドレスを身にまとっている。派手な色を好む彼女にしては珍しい。
「わざわざお前の方から来るとはな。どういう風の吹き回しだ?」
 アベリアルは優雅な物腰で立ち上がると、いつものごとく妖艶な微笑を向けてきた。黙っていれば、これ以上ないくらい美しい女だ。彼女の右腕であるネイヴァという黒猫の女も、同じような雰囲気を持っている。冥界の貴族たちの間では、親しくなりたいと評判の主従だが、口を開いてからの彼女たちを知っているコズウェイルは、あまり賛同する気にはなれない。
「ネイヴァから話を聞いてね。あの子供が、かなり危険になってきているというから、少し話を聞きたいと思ったのよ」
「……黒猫か。酷い怪我をしたらしいな。レクセントの王都で」
「ええ。幸い命に別状はなかったわ。調子に乗って相手の誘いに乗るなんて……。もう少し落ち着きが出てくれればいいのだけれど」
「私に言われても困る」
「少しぐらい愚痴を言わせて頂戴」
 コズウェイルは卓上にあった鈴を振り、下女を呼びつけた。現れた黒い翼を揺らす少女に、蒸留酒を持ってくるよう言いつけると、女の向かい側に腰を下ろした。アベリアルも、それを見て再び座る。
「……あの黄昏人たちに傷を負わされてから、かしら。あの子供がずいぶんと凶暴になったのは?」
「………」
 コズウェイルは片方の眉をひくりと動かす。
「そろそろ限界でしょう? 黄昏人には、重荷だったのかもしれないわね。……あなたがなぜ、そこまであの二人にこだわるのかは分からないけれど。あなた自身が出て行った方がいいのではなくて?」
「それは、分かっている……。分かっているのだが」
 コズウェイルは言葉を切った。下女が酒を持って現れたのだ。美しい切子細工のグラスがテーブルに置かれるのを、二人はじっと見つめた。
 下女が下がるのを見届けてから、コズウェイルは再び口を開いた。
「……あいつたちに、最後まで任せてみたいのだよ」
「ずいぶんと買っているのね」
 アベリアルは、探るような視線を向けてきた。コズウェイルは、その意味に気づいて唇の端を上げる。
「理由は分かっているのだろう?」
「推測の域を出ないわ」
「女の勘とやらは、鋭い」
 肩をすくめるコズウェイルから視線を外さぬまま、アベリアルは杯を取り上げ、舐めるように口をつけた。
「ゼフィオンの理由はそう(、、)だとして……。あのアスレシアという女は、どうして? そこまで見込みのある女なのかしら」
「そう……だな」
 コズウェイルは杯を揺らすと、中の酒を一息に干した。液体が喉を焼いて滑り落ちてゆき、幾度となく思い返した鮮明な記憶が再生される。

 ――爽やかな初秋の朝だ。魔族には不快とさえ感じる朝陽の下、あの女は己の胸に突き立った短剣を握りしめ、倒れこんだ。普通ならば、それで終わるだろう。自身も、何も感じることなく女を見捨て、その場を去ったはずだ。何しろ裏切者は逃走したのだから。後を追って然るべきだった。
 だが、女は起き上がろうとした。震える手で己が胸の剣を引き抜き、血にまみれながら、なおも立ち上がろうとした。
 もがき、崩れ、そしてまた立ち上がろうとする女に、自分はいったい何を見出したのだろう。
 目の前でどんどん朱に染め上げられてゆく女を、見下ろした。足はすでに止まっていた。逃亡者の後を追わねばという気持ちも失せていた。そして。
 顔を上げた女と眼が合ったのだ。深い青灰色の瞳。そこからただ一筋零れた滴は、瞳と同じ色に見えた。
 その瞬間、彼の身体は動いていた。レイピアで自分の掌を裂き、倒れ伏す女の傷口へと押し当てた。低く呪文をつぶやくと、噛み切って血の滲んだ唇で女の口を塞いだ――。

 あの時、女の面に宿るあまりにも強い炎に、コズウェイルは図らずも魅せられてしまった。冥界の貴族が、死神ともあろう男が、心を動かされたのだ。
 買いかぶりすぎか? そうかも知れぬ。たかが元は人間の半魔に、どれほどの期待をかけようというのか。だが。
 コズウェイルは、己の勘を信じたかった。
「あの女に、魔族としてひとつの目的を成し遂げさせれば、強力な力となろう。あいつの内なる意思は、見過ごせぬほど強いものだ」
「なるほどね」
 アベリアルは、とりあえず理解は示してみせる。
「コズウェイル。あなたは、死神のくせに心が豊か過ぎるようね」
「………」
「ま、そんなことは、私に言われなくても分かっているでしょうけれど」
 そして、もう一度杯を舐めると眉をしかめ、やはり強すぎると文句を言った。
「それで。結局のところ、あなたが出るつもりはないという事?」
「ない」
 きっぱりとコズウェイルは言い切った。これ以上言っても無駄だと暗に示され、アベリアルは苦笑を浮かべる。
「でも、そろそろ決着はつけるつもりなんでしょう」
「ああ。――やつは今、北限の島にいる。それは、奴自身が何らかの終焉を望んでいるという事だろうな。そうでなくば、自らを袋小路に追い詰めるような真似はするまい」
「サニト・ベイの魔力は、どれほどになっているのかしら」
「想像もつかぬな」
 コズウェイルは、再度下女を呼びつけ、今度は甘い果実酒を持ってくるように命じた。
「あいつの存在そのものが、想像を超えているのだから」
「それもそうね……」
 アベリアルは肯いてから一度口を閉じ、それから思い切ったように続けた。
「それでも……。あなたは、黄昏人にすべてを任せるのね」
「そうだ」
「ゼフィオンを失うかもしれないのに? あなたの大切な……」
「アベリアル」
 コズウェイルの厳しい一言に遮られ、アベリアルは口をつぐんだ。
「それ以上言ってはならぬ。私にも、死神としての立場というものがある」
「………」
 下女が静かに入ってくる。コズウェイルは、運ばれてきた二つの杯を盆から取り上げ、一つをアベリアルに手渡した。満たされた赤い液体が、不規則に揺れる。
 近々、己自身も北の果てに赴くだろう。少年が大罪をあがなう瞬間を見届けるために。
(我が黄昏人たちよ。期待を裏切ってくれるなよ)
 心中でひとりごち、杯をあおる。
 眼が合ったアベリアルに、コズウェイルは薄く笑いかけた。
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