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2014.12.06(Sat):黄昏人
第十章 二話
【More...】

 船に裂かれた波が、触手のように船縁を這い上がってくる。勢いあまったそれは、時に船の中にまで侵入して足元を濡らした。
 長靴の先に不快な湿り気を感じ、アスレシアはわずかに足を引く。そんなことをしても意味がない事は分かっている。濡れないようにするには、船倉に入るのが適切な行動なのだ。だが、彼女は甲板を動かない。
 前方に見えるのは、北限の島バジャ。またの名を〈過去の遺物〉。
 春先だというのに、北の海に吹く風は身を切るほどに冷たい。それでも今日は暖かい方なのだと、ルーベイヌの町から船を出した船頭は、呑気な声で笑っていた。
(嫌な日差しだ。……穏やかで、和やかな)
 アスレシアは目を細め、空を仰ぎ見た。つかのま雪は止み、太陽が顔を覗かせている。風がなければ、もっと暖かく感じるだろう。
 まったく異なった季節だった。場所も当然違う。だが、彼女に注がれる陽光は、あの日と同じものだ。
 不規則に乱れる波間に目を転じると、水面(みなも)に鮮やかな映像が映し出された。
 西の果てにあった風景が、彼女をゆっくりと呑み込んでいく――。

*******

 その一報がもたらされたのは、忍び寄る睡魔を払うため、巡回に出ようとした矢先だった。近衛騎士の一隊を任されていた彼女は、サニト・ベイの側近といえ通常の任務もこなさなければならない。朝、王宮に出仕した後、仕事に追われて帰宅することができず、そのまま夜勤の任務に着いていた。
 仮眠を取ったものの、疲れはそう簡単に取れるものではない。明け方、早く交代の時間が来ないかと少々不謹慎なことを考えていたところ、一人の騎士が飛び込んできたのだ。
「――何だと?」
 伝えられた言葉はきちんと耳に届いていたが、アスレシアはもう一度尋ねた。騎士は顔を伏せたまま、震える声で繰り返す。
「陛下……と、王太子殿下が……お、お亡くなりに……」
「何を、馬鹿な」
 アスレシアは笑った。疲労のせいで聞き間違えたかと思ったのだ。だが、そうではないらしい。では、この騎士が自分を騙そうとしているのだろうか。しかし、何のために?
「ハザック。近衛騎士が勤務中にそのような冗談を……」
「冗談ではございません!!」
 ハザックという名のその若い騎士は、悲痛な叫びを上げた。隊の中でも一、二を争うほど生真面目な騎士の言葉に、アスレシアの笑いがかき消える。
「まさか……」
「本当なのです! お目覚めになる五鐘に……いつものように小姓が部屋に入ったところ……。陛下が……」
 耳障りな音と共に、足元に水が散った。脇にあったテーブルを倒し、割れた水差しを踏みつけ、アスレシアは部屋を飛び出した。
「隊長!」
 後方からハザックが追って来る。
「陛下の寝室の警護に当たっていたのは誰だ!」
「ガス・ハルディースとヨアン・バルガスです!」
 ぎりりと奥歯を噛みしめる。嘘であってくれと心に念じながら、階段を一気に駆け上がった。
 宮殿の最上階の一番奥に国王サレス・アード、その手前に王太子セイン・エレクの寝室がある。王妃と姫たちは後宮と呼ばれる別棟の宮殿に部屋を持つので、ここにはいない。
廊下に、ガスとヨアンを真ん中にして、数名の騎士たちが茫然とした様子で立っていた。
「退け!!」
 騎士たちを突き飛ばして部屋に飛び込む。天蓋つきのベッドに横たわる男が目に入った。堂々たる体躯と、獅子を髣髴とさせる金色の髪と髭。
「陛……下……?」
 喉に絡みつく声を何とか外へと押し出し、アスレシアは恐る恐る男の傍らへと歩み寄った。澄んだ碧色の瞳には、いつもの威厳は微塵もなく、ただ恐怖だけが浮かび上がっていた。頬は引きつり、口は半ば開いて何かを言おうとしているようにも見える。
 虚ろな眼(まなこ)を覗きこみ、アスレシアは再び呼びかけた。だが、返事はおろか微動だにしない。男の命が失われていることは、あまりにも明白であった。
「団長を……早く……」
 やっとの思いでそれだけを言う。頭が目の前の光景を拒んでいた。脳も身体も麻痺してしまい、何も考えられない。自分の取るべき行動も、次に言うべき言葉も見つからない。
 問いかけても答える機能は停止していた。否、問いかけることすらできなかった。ただ、抜け殻のように膝をつき、国王の骸を見つめるしかできなかった。
「隊長!」
 ハザックの声に振り返る。瞬間、いきなり頬に激しい衝撃を受けて床に倒れこんだ。殴られたのだ、と理解する間もなく胸ぐらを掴まれ、激しく揺さぶられた。
「どういうことだ。アスレシア! お前がいながら、何をしていた!!」
 蒼ざめ、引きつった男の顔が視界いっぱいに広がる。自分と同じ青灰色の、その瞳を見た瞬間、アスレシアの中で凍りついていた感情が、一気に溶けて溢れ出した。
「ち……父上……。父上ぇぇぇっ!」
絶叫が口からほとばしった。感情はそのまま涙となり、頬から顎へと滴り落ちる。自分の胸ぐらを掴んだその手こそが唯一の支えのように、彼女は必死で父の手にすがりついた。
「アスレシア……」
 半狂乱で泣き叫ぶ娘を見て、父は若干の落ち着きを取り戻したようだ。優しく己の胸に抱きしめると、幼子のように頭を撫でた。
「落ち着け。何があった? いったい何が起きたのだ?」
 だが、アスレシアは父の肩に頭を押しつけ、ただかぶりを振るしかできなかった。何が起きたのか、彼女自身も分からないのだ。分かるのは、国王が死んだという事と、自分が防げなかったという事。
宰相リーエ、第一騎士団長ギルザム、第二騎士団長イディス、第三騎士団長バルバネス、そして近衛騎士団長セルマ。国を司る有能なる男たちも、このあまりに突然の事態に正常な思考が働かないようだ。セルマなどは、呆けたように王の手を握りしめているだけで一言も発しない。
隣室の様子を見に行っていた第四騎士団長ゲイクが蒼白な顔で戻ってきた。小さく首を横に振る彼に、男たちの口から絶望的な呻きが洩れる。
「王太子までも……そんな……」
「我らは、どうすればよいのだ……。ギルザム。我々は何をするべきなのだ? このような……このような状況で」
 国王の傍らに膝をついていたリーエが父に声をかけた。ギルザムは娘を抱きしめたまま、天を仰いで目を閉じる。
「とにかく……この状況が他に洩れる事だけは防がねばならぬ。万が一隣国に知られるようなことになれば、我が国の命運は、その時点で尽きる」
「では、警固に当たっていた第二隊の騎士、兵士たちはここに留め置く必要があるな」
「ああ。状況を詳しく聞かねばならぬ」
「それに、こんな事は言いたくないが……」
 バルバネスが横合いから囁いた。
「こやつらを留め置く事で、犯人を逃さぬ事にもなろう」
 びくり、とアスレシアは身体を震わせた。鋭く息を呑むと、獣のごとき呻き声をあげる。
「なんと……言われた」
「………」
「我が……隊の中に……。陛下を手にかけた犯人がいる、と?」
 真っ青に震えながら身を乗り出した彼女を、ギルザムが抱きとめる。その手を振り払おうと身を捩り、アスレシアは髪を振り乱して叫んだ。
「我が隊にそのような者はいない! 誇り高き近衛騎士を、あなたは疑うというのか!!」
「アスレシア!」
「離して下さい。父上! いかに騎士団長といえども、自分の部下を疑われては……」
「ならば!」
 バルバネスが吠えた。いかにも武人らしい節くれだった指をアスレシアの顔に突きつけ、大きく声を震わせる。
「証し立てる事はできるのか。アスレシア・ジェスラート近衛第二隊長! お前の部下がすべて潔白だと、今、この場で我々に示す事はできるか!!」
「………!」
 涙が、再び頬を伝ってゆく。
 何も言い返せない。
アスレシアの身体から力が抜けたのを確かめ、ギルザムは腕の力を緩めた。現実から目を背けるように床に視線を落とし、深く長く嘆息する。
「とにかく……他の王族の方々の安否を確かめねばならぬ。まずは後宮の女王陛下を……」
 ハッとアスレシアは面を上げた。怒りと悲しみにぐちゃぐちゃになった心に、針で鋭く突かれたような痛みが走ったのだ。浮かび上がるひとつの名が、瞬時に失った冷静さを取り戻させる。
彼女は、油断していた父の腕を振りほどくと、脇目も振らずに扉へと走った。
「どこへ行く!」
 バルバネスの厳しい言葉に足を止め、アスレシアは怒りに燃えた目を向けた。
「我が主の元! 戻ってきてのち、この首、存分に斬られるが良い!!」
 責は自分が負う。逃げるつもりなど毛頭ない。だが、剣を捧げた主サニト・ベイの安否だけは、この目で確かめねばならぬ。
 アスレシアは王宮を飛び出すと、全力でサニト・ベイの屋敷へと向かった。この時ほど、彼が妾腹ゆえに王宮の外に住まわされている事を呪ったことはない。
 声にならぬ叫びを上げ、アスレシアは黎明の街を駆けた。

*******

「……!」
 痺れるような感覚を覚え、アスレシアは足元を見つめた。ひときわ高い波が侵入してきたらしい。彼女の右足は、膝の辺りまで濡れていた。そのあまりの冷たさに、思考は一瞬にして現実へと引き戻されてしまった。
 苦笑を浮かべる。――苦い、苦い笑みを。
 海面は鮮やかな映像など微塵も映さず、ただ黒い姿を不吉に揺らしているだけだ。
「肝心な時に身体を壊したら、どうにもならないぞ」
 声に振り返った。漆黒の髪を北風に乱されながら、端正な顔が不安気に歪んでいた。
「ゼフィオン……」
 ふわり、と暖かくなる。己のマントを広げた彼は、アスレシアの身体を優しく包み込んだ。慕わしく愛しい温もりに、凍りついた心が溶ける。
 二人は、遥か前方に目を転じた。
〈過去の遺物〉は、ただ静かに彼らを待ち受けている。
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